カテゴリ
以前の記事
2012年 03月 2012年 02月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 10月 2005年 09月 お気に入りブログ
リンク
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
キッサみたいなヤツはサッキみたヤツとは変わってます。この展示はどうやらインターネットの投稿サイトを再現しているようで、毎日訪れた方が何かの痕跡を残していき、展示は徐々に変わっていく訳ですが、この展示で松本氏が見せつけたものは、ギャラリーにとって或いは現代美術を愛するものにとって、なかなかリアルな問題提起だと思いました。見に来た方が、雑多で無節操な展示に戸惑いを感じたとしたら、それこそが彼の目論見であろうと感じるからです。さらに、そこにある種の爽快感なり安堵感を感じるとしたら、逆に不安や嫌悪を感じるとしたら、その感じ方が現代美術へのスタンスかもしれません。「複製技術時代の芸術」から「ネット時代の芸術」への展開は「表現者の拡大」と言う大変革をもたらしたことを再認識させ、そこにギャラリーとしてのアプローチを改めて考えさせてくれました。
だからこそギャラリーとしてのアウラを求める、またはアウラを求める作家への装置として機能していくべきと考えているのが、失礼ながら市内の大多数のギャラリーだと思います。ある意味でそれは当然な志向でしょう。では、亜蛮人はどうなのか?どうあるべきより、僕個人はどうしたいのか? 温和な顔をした松本氏に問い詰められているような気がしてなりませんね。
by dilmon
| 2009-03-02 07:54
|
ファン申請 |
||