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大阪では愛染祭りを皮切りに、各地で夏祭りが行われます。ここ日本橋町会の堺筋より西側は、もともと関谷と言う町名で広田神社鎮守になり、8月2日の例祭には布団太鼓と呼ばれる小さな山車が町内を練り歩きます。今日はその山車の組み立てでした。こんなごみごみした町の真ん中にも、ちゃあんと祭りがあって、それを守っている人々や待ち望んでいる人々がいるんですね。 「僕らはひとり、故郷を捨てて、そのくせ祭りを待ち望む。僕らはひとり、英雄を夢み、そのくせ甘えるのが好きだ」と書いた詩人がいました。人は科学技術の進歩や民主的思考の浸透で合理的な生き方を身につけたけれど、どこかで得たいの知れない存在!みたいなものに繋がってないと生きていけないんでしょうね。 以前に「公共の建物の建築前に地鎮祭を行うのは、憲法の掲げる宗教の自由に違反してないか」という裁判がありました。違法か順法か、の問いかけにはさまざまなしがらみ同士の駆け引きがありそうですが、「地鎮祭は宗教行為ではない」と判断した裁判所の判決には時代の空虚さを感じてしまいました。空虚な自分が言うことでもないですが、祭みたいな行為にこそ宗教の根源的な意味があるんだろうし、そこに目をつむるより「宗教」と「宗教的なもの」或いは「宗教心」と「信仰心」とをきちんと分けて考える事の方が大切じゃないかなぁと思うんだけれど。 でなきゃあ祭りにまっとうなお酒は飲めないでしょ…とヤッパリ不埒な酒飲みが言うことでもないかぁ。
by dilmon
| 2007-07-31 01:33
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